「今日は疲れた〜」の裏にある、ちょっとした違和感
「いや〜今日は一日中子どもといたから疲れたわ〜」
その一言に対し、こっちはカレーの鍋を洗いながら無言で頷く。
(へえ、今日“だけ”なんだね…)と、心の中で静かにツッコミながら。
いや、もちろん感謝はしてるんですよ。
でも、その“がんばった感”、こっち毎日デフォルトですけど? って言いたくなる日、ありませんか?
朝から子どもと一緒だったパパ → ドヤ顔
たまたま私が出かける用事があって、パパが子どもとワンオペ時間を過ごした日。
帰ってきた瞬間の、あの「いや〜今日大変だったよ」って顔。
「ずっと相手してさ〜」「お昼もちゃんと作ってさ〜」
……え、昼ごはんって冷凍うどん解凍しただけじゃなかった?
おもちゃ散らかってるし、子どもパジャマのままやん…?
そして極めつけは、
「いやほんと、毎日これやってるのマジで尊敬するわ」
その言葉、100点。わかってるね、君。
でもどこかなんだか顔がなぜだか“今日の俺、すごくない?”ってなってるのよ。惜しい。

ワンオペのハードさ、1日じゃ伝わらない説
たしかに、子どもと1日過ごすって体力使う。
だけど、こっちはそれが週7フルタイム・無休・無給・無拍手で続いてるわけで。
一日頑張ったあとに「認めてほしい」って思う気持ち、私だって山ほどある。
でも大抵、「今日も1日終わったな〜」で終わる。
あの日のパパを見て、
私もたまには“ドヤ顔”していいのかもしれないって思った。
(たぶんやっても誰も見てないけど)
あえて言わない“それ私、毎日やってますけど”のセリフ
育児って、やればやるほど“当たり前”になるところがある。
私が子どもの着替えを5回やり直しても誰も褒めないし、
寝かしつけに2時間かかっても、それは“日常”。
なのにパパが1日担当すると、やたら周囲から拍手喝采。
「えらいね〜、ちゃんとパパしてるね〜」
(あの、こっちも毎日してますけど)
もちろん、パパを責めたいんじゃない。
ただ、「それ、毎日やってるこっちにも言って?」という気持ちが、
心の中で静かに積もっていくわけです。
まとめ:育児の“すごさ”は、単発じゃ測れない
パパの「がんばった感」を否定する気はない。
でも、育児は“たまにやるすごさ”より、“日々続けるしんどさ”にこそ価値があると思う。
今日も明日も、子どもの隣でがんばってるママたち。
誰に褒められなくても、淡々とこなしてるママたち。
たまにドヤ顔してるパパを見ながら、
「それ、毎日やってますけど」って心の中で呟くその瞬間こそ、
私たちが“ちゃんとやってる証”かもしれません。
ごめんパパ!いつも本当にお仕事お疲れ様です!
みんなで頑張ろうね🌷


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