“仕事と育児どっちが大変か”論争に意味はある?みんなしんどい、それだけ

「社会と家庭のズレに切り込む」

仕事も大変、育児も大変。なぜ比べてしまうのか

「仕事してるから」「いや、家のことしてるから」

どっちもしんどい。どっちも大切。
でもSNSやテレビでは、なぜか“どちらが大変か”を決めたがる空気がある。

その論争を見るたび、正直、うんざりする。
疲れるのは、「比べられること」よりも、
「比べさせられてる構造」なのかもしれない。


私が一番しんどかった瞬間は、理解されなかったとき

外に働きに出たときは、
「子ども小さいのに大丈夫?」と心配され、

家にいたときは、
「暇でしょ、ちょっとこれお願い」と頼まれる。

どちらを選んでも、「大変だね」とは言われなかった。
代わりに返ってくるのは、“評価”のような目線。

一番しんどかったのは、
体よりも、そうやって見られている心だった。


それぞれのしんどさに、違いがあるだけ

育児は、休憩のない長時間労働。
仕事は、成果やプレッシャーに常に追われる。

その“質”が違うだけで、
どっちが上・どっちが下なんて決める意味はない。

疲れ方にも個性があって、
「どちらの方が大変か」と優劣をつけること自体が、ズレている。


対立じゃなく、共感と連携の関係へ

「そっちの方が楽でしょ」
そう思ったら、一度だけ「どんな1日なのか」を想像してみてほしい。

ただそれだけで、きっと対立は減る。
「よくやってるよね」って一言で、救われることもある。

理解なんて完璧じゃなくていい。
ただ、少しの想像力が、やさしい関係をつくる。


みんな、しんどいんだ。それだけで十分

育児も、仕事も、家事も。
全部に、違った大変さがある。

誰かのしんどさを否定しない。
それだけで、社会は少しやさしくなる。

「みんな違って、みんなしんどい」
だからこそ、比べるよりも、
ねぎらい合える社会であってほしい。

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