「今日は家でゆっくりしてた?」って言葉に、思考が一瞬フリーズした話。
スーパーでバッタリ会った知人に言われた、なんてことないひと言。
「今日はおうちで、ゆっくりしてたの?」
……うん? え? ゆっくり?
どこに? どのへんが?? 私、今日“休んでる顔”してた???
その瞬間、頭の中が完全停止した。
今日の“ゆっくり”の内訳、言おうか?
・朝5時半に子どもが「ママ、起きて」コール
・朝ごはん作って、食べさせて、皿洗って
・洗濯2回、布団干して、おむつ替えて、トイレ誘導して
・「ママ見て〜」連呼の中で掃除して、片づけして、また散らかされて
・気づいたら昼、気づいたら夕方…気づいたら私、1回も座ってない
これが“ゆっくり”って呼ばれるなら、全人類に謝ってほしい。

「家にいた=休んでた」って誰が決めた?
たしかに“外で仕事してない”かもしれない。
でもさ、それって「じゃああなた、子どものトイレトレ3日だけやってみて?」って話。
家にいる=自動で体力全回復、みたいなゲーム設定、
この世に存在してませんので。
なぜか黙って受け流しちゃう。でも、ほんとはモヤっとしてる
「えーそんなに大変なんだー(でも休んでるよね?)」っていう空気、感じたことある人、きっと多い。
たぶん、わかってもらおうとするのも疲れるから、
「まぁね〜」って笑って済ませるんだよね。
でも、じわじわ効いてくる。
まとめ:「ゆっくりしてた?」じゃなくて「今日もおつかれさま」で、世界がちょっと救われる
主婦業も育児も、“やって当たり前”が積み重なると、ほんとに見えなくなる。
でもね、それを「当たり前」って言わないでくれるだけで、心が少し軽くなる。
「今日は家でゆっくりしてた?」じゃなくて、
「今日もおつかれさま」って言ってもらえたら、それだけで明日が変わる。
見えてないだけで、ちゃんと走ってる人、いっぱいいます。

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