「“夫のほうが稼いでる”って、それがなに?」

「社会と家庭のズレに切り込む」

ある日ふと感じた“引け目”

「俺が稼いでるじゃん」
その一言に、何も言い返せなかった自分が悔しかった。

我が家は共働き。
私はパートで週4、夫は正社員でフルタイム。
たしかに金額だけ見れば、彼の方が稼いでる。
でも、それって「偉い」ってこと?

この疑問が、最近ずっと心の中でぐるぐるしている。


何気ない一言にモヤモヤが爆発した

ある日、家計の話をしていたとき、夫がこう言った。

「まぁ、こっちが生活費の大半出してるわけだしさ」

悪気はなかったと思うんだけど。。。
でも、その一言で空気が変わった。
“家のことは俺のほうが決めていい”っていう、
無言の優位性を感じてしまった。

その瞬間、「あ、私って“下”なんだな」って、急に虚しくなった。


家事も育児も、時間単価じゃ測れない

パートとはいえ、朝は子どもの支度をして、送り出して、
仕事から帰ったら即夕飯づくり、洗濯、片付け、寝かしつけ…。

手を止めたくても止められない毎日。
それでも、収入が少ないからって、なんとなく「自分の意見には力がない」と感じる瞬間がある。

「生活費の7割出してる」って、そんなに偉いの?
私が毎日やってることって、ほんの“補助”にしかならないの?

そう思ったら、なんだか全部がむなしくなった。


金額で測る“価値”に縛られすぎていないか

お金は大事。確かに大事なんです。
だけど、家族って“金額”で順位をつける関係だったっけ?

子どもが「ママがいないと寝られない」って泣くとき、
それって私が毎日一緒に過ごしてるから生まれた信頼だよね。
それも、家族の大事な“支え”じゃないの?

生活を回す力って、通帳の数字だけじゃ測れないはずだ。


対等にいられる関係でいたい

この気持ちを、少しだけ夫に話してみた。

「たしかに収入はそっちが上かもしれないけど、
家事や子育ての“現場”にいるのは私なんだよ。
だから、私は“対等”でいたい」って。

驚いた顔をしてたけど、しっかりと聞いてくれた。
少しだけ空気が変わった気がした。


稼ぎの額と“人としての価値”はイコールじゃない

「夫のほうが稼いでるから」
それを理由に、何かを押し付けられたり、黙らされたくない。

たしかに、お金は力を持つ。
でも、家族って、金額じゃなくて“関わりの深さ”や“支える姿勢”で成り立ってると思う。

私は私のやり方で、ちゃんと家族に貢献してる。
だからもう、「私のほうが下かも」なんて引け目は持たない。

声に出すのはまだ少し怖いけど――
心の中でははっきりと言える。

「それが何?」って。

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