“家族のために”が通じない社会──休みたくても休めないのはなぜ

「社会と家庭のズレに切り込む」

「明日、子どもが保育園の発表会で…」
「子供が熱を出して…」
そう伝えたときの、あの空気。
あからさまなため息。沈黙。
そして一言、「それって、出社できない?」

家族を理由に休もうとすると、まるで“責任感がない人”みたいな扱いをされる。
そんな経験、ありませんか?


「子どもの熱」は“甘え”なのか

ある日の朝。
下の子が突然の発熱。熱は38.5度。目もとが真っ赤で、ぐったりしてる。

病院に連れていこうと職場に連絡すると、
「で、どうするの?病院行ってからならはこれない?」
「午後から来れたりしない?」

いや、無理なんだけどな。
子どもが泣いて苦しんでるのに、なぜ“勤務できるか”を真っ先に聞かれるんだろう。


「家族優先」は、仕事をサボる言い訳?

行事や通院、急な呼び出し。
育児中の親には、避けられない“予測不能”が日常にある。

だけど、社会はどうだろう。
「子どもが理由です」って言うと、どこかで「またか」と思われている気がする。
まるで“子ども”という免罪符で逃げてるような目線を感じてしまう。

それって、こっちの被害妄想だろうか。
いや、少なくとも“心からの理解”ではないことだけは、肌で分かる。


「誰かがフォローするんでしょ?」

家族の事情で休むと、職場には負担がかかる。
でもそれって、本来お互い様なはずだ。

「誰かがカバーする」
それって育児中の人間だけじゃなくて、
誰だって病気になるし、親の介護だってある。

育児中の親が「申し訳ない」と思いながら休む社会は、
誰かが常に我慢してバランス取ってるだけの綱渡りなんじゃないかと思う。


「子どもが熱を出したら休む」

それって、そんなに非常識?

海外では、「家族ファースト」が当たり前な国もある。
でも日本ではまだまだ、「家庭のことは家でやれ」「仕事に私情を持ち込むな」って空気がある。

働き方改革って何だったんだろう。
柔軟な働き方って、誰のためだったんだろう。

ニュースで見る大企業のママたちは環境がいいとか言ってるけど、多分中小企業にはまだまだ浸透していないんじゃないかと思う。

子どもが熱を出した時、堂々と「今日は看病します」って言える社会であってほしい。
そう言える人が、責められない場所であってほしい。


まとめ:家族のために休むことが“当たり前”になる社会へ

家庭を持っていることが、職場での“足かせ”になるような空気。
その空気を変えていくのは、たぶんすごく地道で、面倒くさいことの積み重ねなんだと思う。

でも、誰かが声をあげなければ変わらない。
「家族のために休みます」って、堂々と言う人が少しずつ増えていけば、
いつかその言葉が“普通”になる日が来る。

そう信じて、私は今日も「すみません」じゃなくて「家族のためにお休みします」って言いたい。


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