なぜ母は黙っていたのか?親になった今、沈黙の意味に気づいた

家族の中で見つけた気づき

あの頃の母の“無言”が、今なら少しわかる気がする

子どもの頃、母が黙り込むと怖かった。

声を荒げるでもなく、泣くでもなく。
ただ静かに、皿を洗ったり、洗濯物をたたんだりしていた。
怒ってる?何か言ってほしい。
でも、何も言ってくれない。
それが、子どもだった私にはいちばんこたえた。


母の沈黙が、こわかった

「怒られる方がマシだった」
そんなふうに思うくらい、あの沈黙は空気を重くした。

リビングの隅でうずくまる私に、母は背を向けたまま何も言わなかった。
テレビの音だけが響いて、世界に音が戻るのを待つような時間。

子ども心に「私は嫌われたんだ」と思い込んでいた。


気づいたら、私も黙る側になっていた

今、私は親になった。
そして、気がつけばあの頃の母と同じように黙っている自分がいる。

子どもにイライラしてしまったとき、
感情をぶつけるのも違う、でも冷静にもなれない。
そんなとき、私は黙る。

言葉が見つからない。
言ってしまえば、傷つけてしまう気がする。
黙るしかない。
それは、怒っているからじゃない。
ただ、どうしたらいいのかわからなくて――疲れているから。


あのときの母も、きっとそうだったのかもしれない

怒らなかったのは、優しさじゃなかったのかもしれない。
怒る気力すら残っていなかったのかもしれない。
泣く代わりに、黙ってやり過ごすしかなかったのかもしれない。

その沈黙には、もしかしたら“投げ出したくない気持ち”が詰まっていたのかもしれない。


子どもに「ママ、怒ってるの?」と言われてハッとする

ある日、私が静かに皿を洗っていると、
後ろから子どもがぽつりと聞いてきた。

「ママ、きょう…怒ってる?」

その声を聞いて、ハッとした。
あの日の私が、そこにいた。
沈黙に不安を感じている、昔の私の姿が。

私は手を止めて、子どもを抱きしめた。
「怒ってるんじゃないよ。ただ…疲れちゃってた」
そう言葉にした瞬間、自分でも涙が出そうになった。


まとめ:沈黙の奥にあったもの

母の沈黙は、怒りじゃなかった。
あれはきっと、自分を保つための沈黙だった。

言葉にできない感情を飲み込みながら、
母は“お母さん”であろうとしてくれていたのだと思う。

私もきっと、あの頃の母と同じように、
沈黙の中で不器用に愛している。

今なら少しだけ、その意味がわかる。
ありがとう、お母さん。
言えなかった言葉を、今日ここに置いておきます。


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