「保育園に預けるなんて、かわいそう」──それ、まだ言う?
子どもを保育園に預けて働くことに、
なぜかついてくるこの言葉。
「かわいそう」って言ってくる人の顔は、たいてい穏やかで、
“善意”っぽいトーンだったりする。
でもこっちは、その一言に何度も心をざわつかされてきた。
まるで「母親として間違ってる」って言われたような気がして。
私は、子どもを犠牲にしてるの?
働く理由は、決して自分のためだけじゃない。
家族のため、子どもの未来のため、
何度も考えて出した“わが家の最適解”だった。
それなのに「かわいそう」って言われた瞬間、
その選択すべてが、ぐらぐら揺らぐ。
「ちゃんと考えてきたのに」って思えば思うほど、
胸の奥がギュッと締めつけられる。
それでも私たちは、今日も必死でまわしてる
朝は戦場みたいなバタバタ。
子どもを送り出して、そのまま仕事に駆け込む。
お迎えの時間に間に合わせて、夕飯を作って、寝かしつけて…。
どこに“楽してる”要素がある?
「かわいそう」って言葉が向けられるべきは、
むしろ“親がそこまで頑張らなきゃ成り立たない社会”の方じゃない?
本当に“かわいそう”なのは誰?
子どもは、保育園でたくさん笑って、学んで、友達と遊んでる。
先生たちは信頼できるし、毎日の成長もちゃんと見てくれてる。
なのに「母親がそばにいない=かわいそう」って、
あまりにも雑なレッテルじゃない?
母親だけに向けられる“罪悪感の強要”。
それって、誰が得するの?
まとめ:「かわいそう」で親の選択を揺らがせないでほしい
私たちは、ラクしたいわけじゃない。
ただ、ちゃんと生きるために働いてる。
この子の未来を守るために、毎日めいっぱい動いてる。
「保育園=かわいそう」なんて言葉で、
私たちの選択を否定しないで。
母親が笑っていられること。
安心して仕事ができること。
信頼できる人とつながれること。
全部含めて、それが“育てる”ってことなんだと思う。

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